ツァンパの日記

旅と民族文化を愛する田舎暮らし人の日記。

旅と民族文化を愛する田舎暮らし人のつれづれ。

犬を叱る、子供を叱る

じぇんが図書館で「これ借りる」と言ってもってきた本が、

「スーフと馬頭琴

だった…!!

(「スーホと白い馬」と同じお話。モンゴル民話。)

しかも「これをBGMにして読み聞かせしましょう」的な馬頭琴のCD付き。

文字は読めないのに、居並ぶ背表紙からこの本をチョイスしてくるとは…

ふふふ、親のマインドコントロールってすごいな。

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そんなじぇん5歳をしばしば怒りすぎちまう…というのが目下のわたくしの悩み。

一昔前は、悪いことすると蔵に閉じ込めらたり、庭の木に縛りつけられたり、家から閉め出されたり、なんて普通のことだったと聞くけれど、当世の流行りはなにはともあれ「怒らない育児」。

怒るたびに後でなんだか罪悪感を感じてしまうし、自分のためにも(たぶん)じぇんのためにもできればあんまり怒らずに生活したい。

 

ところで、近所に聴導犬の訓練施設があって、訓練前の犬を一般家庭で数か月生活させるボランティアを募集している。

犬を飼おうと思ったとき、このボランティアにも興味があって話を聞きに行ったことがある。

ボランティアの条件として、

「犬を絶対に叱らない」

というのがあった。

ここの協会の犬たちは、

悪いことをする→叱られる→しないようにしよう…

ではなく、

ひたすら

いいことをする→ほめてもらえる→もっとしよう!

というサイクルのもとで訓練されていくのだそうだ。

ううむ、なるほど。

(でも、人を咬んだりしちゃったときはどうするんだろう)

 

その後、この協会とは別のところでご縁があってツァンパが我が家の犬になったのだけど、彼女については私はたいてい「叱らない」でいられる。

吠えてしまうときなんかは、近くに呼んで「分かったよー、聞こえてるよー」と言ってやる。

また、吠えるシチュエーションは予測できるので、郵便やさんが来たり、宅配が届いたりする時間帯には、吠えないように前もってツァンパを傍に呼んでおいたり。

(まあそもそも過去に虐待経験があるらしいツァンパは、1度叱ったらびびりまくっておしっこもらしてしまったので、うかつに叱れないという事情もあるが)

 

翻って、人間はどうか。

犬は叱らずに教えられるのに、なんで人間だと叱ったり怒ったりしちゃんだろう。

 

1.こちらの期待が高い

赤ちゃんや犬に怒らないのはたぶん「できない」のを受け入れているからで、「服を自分で着れるはず」「妹を叩いちゃいけないって分かっているはず」「座ってちゃんとご飯を食べられるはず」等々の期待をこちらが勝手に持ち、それができないと「なんでできないの!」と怒ってしまう、ような気がする。

期待値を下げれば怒らなくてすむかもしれない。

でも、そうやって赤ちゃん扱いするのは果たしていいことなのか?甘えに対していちいち親が手を貸してやってやるというのはいかがなものか。自立に反するんじゃないのか。

それとも、保育園ではどうせ自分でやってるんだし、家で甘えるのも今のうちだけなんだからよしとするべきなのか。

基本現状維持でいい犬と違って、子供には社会のルールを教えたり礼儀作法を身につけさせたりしないといけない。

大人同士の関係と違うから、心穏でやかに過ごせればそれでいいってものじゃないだろう。

波風たってもアクションを起こす&変えていく 必要があるんじゃないか。

さて、怒らずにアクションを起こすにはどうすればいいのか。

いいことをする→ほめてもらえる→もっとしよう!

サイクルは、人間でも有効だと思う。

でも、「悪いこと」を見つけた時に何も言わないでいいのか?

うーん。

 

2.予測できない

犬は単純だからやりたいこともやることもたいてい予測可能で、したがってこちらの対応も事前にシミュレーション可能。

が、人間、特に予測の斜め上を行く生き物たる男子は、そうはいかない。

シミュレーションしてない事態に冷静に対応できるか。

まあこれはひとえにこちらの修行の浅さが問題だな。

 

3.反省を見せない

怒られるときまりが悪いからわざとふざけたりにやにやしたりするんだけど、まあこれが怒っているこちらの火に油を注ぎますね…。

でも考えてみれば、子供とはいえ人間の精神のいかに複雑なことか。

「恥ずかしい」とか「きまりがわるい」とかってかなり高度な感情で、犬にはない感情だよね。

 

何の結論も出ませんが…。

一筋縄ではいかない生き物と一緒に暮らしてます。